多摩川の花火大会

こんにちは! 8/19(土)の多摩川の花火大会は生憎の豪雨と落雷で中止になってしまいましたね。
今回は、新丸子の三業地としての歴史が、この多摩川の花火大会の原点であったということに触れてみたいと思います。
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そもそも新丸子が三業地として栄えたきっかけは、三河出身の大竹静忠という実業家が、大正13年「丸子園」(現:中原区上丸子八幡町)という料亭を開業したことにある。
この「丸子園」の敷地は約3000坪もあり、多くの人で賑わうようになった。 data01_01_023_01
次第に、「菊ノ家」「もみじ」などの料亭を初め、飲食店や待合が増え、第二次世界大戦直前の昭和14年ごろまでに、「新丸子三業地」として活気付いて行った。
さらに、大竹氏は出身地の三河から花火師を呼び寄せ、「丸子園」の利用者や丸子三業地を訪れる人のために多摩川で花火大会を開いた。
これが、昭和42年まで、現在の丸子橋付近で行われていた、丸子多摩川大花火大会のもとである。
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(昭和25年当時の「丸子多摩川大花火大会」ポスター)

しかし、昭和20年4月15日と5月24日の二度にわたる大空襲により、賑わっていた料亭も4~5軒を残し全焼した。
「丸子園」も戦争のため昭和16年12月19日に、日本電気株式会社(現:NEC)に買収され、大竹家は3代で幕を閉ることに…。
日本電気は、「丸子園」の母屋を独身寮、離れを家族寮として使用していたが、昭和43年ビルに建て替えられ「千草寮」となった。 その後、「千草寮」は平成19年に売却され、駐車場や高層マンションへと変わっていった…。

新丸子駅東口…。美しい芸妓さんが行き来し、華やかだった日々に思いを馳せるのも楽しいですね。

来年こそ、職人さんたちが腕を振るった大きな花火が打ち上げられますように!